「感謝と貢献」第902日

『生き方働き方創造』

混迷日本再生「二宮尊徳の破天荒力」

出版社 ぎょうせい(2010/10/14)

著者 松沢成文(出版当時神奈川県知事)

 

『二宮翁夜話』を著した福住正兄は、その最後に、尊徳の教えを次のように総括している。「報徳学は、実行学であり、

普通の学問と違って、実徳を尊んで実理を明らかにし、実行をもって実地にほどこし、天地造化の功徳に報いるように勤め、

もって安心立命の土地とする教えである。天地に報いる勤めとは、内に天から授かった良心を養成し、より立派な人格を磨き

上げ、外には天地の化育に賛成し、これに協力することの二つである。端的に言えば道徳と経済の二つである。そこで道徳

もって体となし、経済をもって用となし、この二つを至誠の一つをもって貫くことで道とするものである」これがいわゆる

「道徳経済の融合」あるいは「道徳経済一元論」と呼ばれるものである。儒教の教義のなかに「利は義に反する」とある。

つまり、経済よりも道徳を上位に置いている。孔子は『論語』において、国のリーダーたる者の心得を説いているわけで、治世の

学として道徳を経済よりも重視したのは当然である。しかしながら尊徳は、儒教の教義に屈しなかった。尊徳は生産する農民

こそが最も尊い存在であるとして、生産すなわち経済の重要性を的確に認識していた。つまり、儒学が非生産者である武士の

ための治世の学であるのに対し、報徳学は生産者である農民領民のための実学なのである。こうして尊徳は「経済を伴わない

道徳は戯言であり、道徳を伴わない経済は罪悪である」という哲学に到達する。その帰結として「経済」と「道徳」という

二律背反するかに見えるものを融合させ、「道徳経済一元論」を社会発展の原理としたのである。これはまさしく、尊徳の

説く「一円融合」の哲学である。世の中には、善悪、貧富、苦楽、禍福、生死など互いに対立し、対称となっているものが

むすうにある。尊徳はこの対立するものを一つの円の中に入れ、相対的に把握しようとする。世の中のことは何事も、それに

対称する別の半円と合わせて一円となる。物事の相対性を一円観として説いたものである。

いくら道徳を説いても、金がなく実行できなければ何も生まれないし、何の価値もない。だから尊徳は実践を重んじた。道徳の

実践を支える経済の実践があってこそ、社会が発展していく。これが道徳と経済の融合である。まさに、これこそが二宮尊徳

「破天荒力」である。破天荒とは、それまで誰も成しえないことを実現するという意味である。尊徳は、尊徳思想と報徳仕法

よって、それまで及びもつかなかった道徳経済を創造し、農村社会を復興し藩財政を再建した。