善と悪の経済学(トーマス・セドラチェク著、村井章子訳)より抜粋

善と悪の経済学

(トーマス・セドラチェク著、村井章子訳)

P424から第13章の文章をまとめ部分をそのまま下記にて抜粋

 

決定論ーシンプル・イズ・ノット・ビューティフル

 19世紀に決定論が猛威を振るい、人々は、世界の先行きは現在と過去の状態から機械的に決まるという見方に支配されていた。決定論の立場ではランダム性や偶然を理解するのは難しい。そこで、そうした現象は原因がわかっていないせいだと説明した。ニュートン力学は、決定論の最たるものと言えよう。力学の世界では量子力学によって決定論は弱められた、経済学にはいまだにしっかりと根を下している。世界を方程式の集合体として表現し、かつ信じているーこれが、現代の経済学の大半の典型的な姿である。

 言うまでもなく、人間のふるまいを予想するのは容易ではない。よって、経済学に根を下した決定論の根拠はかなり貧弱であり、これがまさに経済学とニュートン力学の根本的な違いの一つである。だが残念ながら、世間はそう思っていない。分厚い文献、膨大な数式にその派生物、さらにはノーベル賞、有名大学の博士号・・・・・・・こうしたものものしい装備からして、いつ経済危機が終わるのか、できるだけ早く終わらせるにはどんな手段、どんな治療薬を使えばいいのか、経済学者は教えてくれるに違いないと期待している。だがこれは、大きな間違いだ。経済学はいまなお社会科学の一部門であり、ときに自然科学の仲間のふりをしているとしても、決して自然科学ではない。経済学者が数学を援用するからといって、経済学が科学だということにはならない。(数秘術だって数式を駆使する)

 ケインズは次のように予想した。「経済問題が本来の二番手の位置に戻り、心や頭の重要な領域が真の問題で占められるようになる日はそう遠くはあるまい。真の問題とは、人生や人間関係、創造、行動、宗教の問題のことである。」だが、信じられないほど富が増えたというのに、その日はまだ遠いようだ。だからといって、数学を責めるべきではない。だが、数学だけを偏重してきた経済学が、幅広い社会科学的アプローチをしばしば無視し、経済についてもそれを取り巻く社会的状況についても完全に理解したと主張し、あまつさえ未来を予想できると言い張っていることについては、責めて良いと考える。