禅仏教入門 鈴木大拙
公案の数は伝統的に千七百とされているが、これはごく大まかな数え方である。実際の役に立てるという点からすれば、せいぜい十以内、もしくは五以内、あるいはただの一つでもって、人々を禅の究極真理へ眼を開かせることが十分できるのである。しかしながら、徹底した悟りは、禅が最高究極のものであると不撓の信念をもって、犠牲的信念でもってこれに励むところに得られるものである。臨済派の人々のやるような、単に公案の階梯を一歩一歩と登っていく方法では、悟りは得られるものでない。したがって公案の数ということは、あまり関係がないのである。真に必要とされるのは信念であり、また個人の努力である。これなくしては禅は泡沫にすぎぬ。禅を思弁と見、抽象性と受け取るがごとき者は、その深みを得られないのである。禅の深みは、ただ最高度の意志力によって測られうるものなのだ。公案が幾百あろうと、あるいはこの宇宙の中に存在している無数の事物と同じだけ公案が無数にあったところでそれはわれわれの関知せぬところである。事物が生きて働く、その現実性を見るだけの全体的視野、十分満足できるだけの洞察力、これが獲得されるなら、公案はひとりでに片がつくといってよいのである。
実は、公案に危険が潜んでいるのはこの点である。人間の内的生命の開発という禅の真面目を忘れ去って、どうも禅修行が公案だけに終始しがちである。この陥穽に落ちた者も多いのであって、その結果は禅の腐敗となり衰運となって現れてきた。大慧はこのことを十分に予知しており、そこで師の圜悟が編纂した一百則の公案を焼き捨てたわけである。この一百則の公案とは、雪ちょう禅師がさまざまの禅籍中より抜粋し、その一つ一つに頒古を付したものであったという。大慧は真の禅者といえよう。彼は、先師がこの抜粋に垂示・評語・著語を付したときの意図を十分に察知していたが、同時にこれが後には禅にとって自殺の道具ともなるであろうことを見抜いていたのである。だからこそ、彼はこれを火中に投じたのであった。
しかし、この書は焼け残って依然われわれの手中にあり、禅門第一の書とされている。じつにこの書は、いまもって禅学上の疑点を解決するに際しての基本文献であり権威とされている。すなわち、この書こそ日本で『碧厳集』の名で知られているものである。といっても、禅門以外の人々にとってはやはりこの書は禁書であろう。というのは、まず第一にその漢文は古典的文体ではなく、非常に力強い文体で書かれているが、禅文献だけにしか残っていない唐・宋時代の俗語が多く使用されているたんめである。第二に、文体がこの種の文献に独特のものばかりでんなく、その思想と表現が突飛であって、普通の仏教的術語や少なくとも読み慣れた古典的語法を予期していた読者は、これに狼狽すること必定である。さらに、こうした文体上の困難ばかりでなく、『碧厳』には当然のことながら禅が横溢している。もっとも、そうは言っても、禅者が公案をどのように扱うものであるかを知りたい読者は、やはり一度この書を繙くのが望ましいのである。